ENSEMBLE FREE EAST

第17回演奏会

今からおよそ130年前、作曲家・チャイコフスキーは「魂の全てを注ぎ込んだ」とまで述べた交響曲第6番《悲愴》を完成させました。
その30年後、パリの楽壇で冷遇されていた作曲家・プロコフィエフは起死回生をかけて交響曲第2番を作曲します。
そして今、「プロコフィエフの音楽を聴いて作曲家を志した」と言う向井航の新作《ダンシング・クィア オーケストラのための 》が誕生しました。
いずれも華麗なるオーケストレーションを得意とする作曲家。めくるめくオーケストラの世界を是非ご堪能ください。

アンサンブル・フリーEAST 代表 浅野 亮介


演奏会詳細

2022 年 9 月 17 日 (土) 14:00 開演
第 17 回演奏会
  • 向井 航 ダンシング・クィア オーケストラのための (委嘱作品/世界初演)
  • プロコフィエフ 交響曲第2番
  • チャイコフスキー 交響曲第6番

  • * 指揮:浅野亮介
    杉並公会堂 大ホール

    作曲家紹介

    向井 航
    向井 航
    Wataru Mukai

    1993年生まれ。作曲家、パフォーマー。東京藝術大学音楽学部作曲科を首席で卒業後、渡独。宗次徳二海外支援制度およびロームミュージックファンデーションからの支援を受け、マンハイム音楽舞台芸術大学修士課程を最優秀の成績で卒業。 在学中にエラスムス奨学生として、ベルン芸術大学にて作曲及びパフォーマンスを Angela Körfer-Bürger、Simon Steen Andersen の各氏に師事。 同大学ポストグラデュエート課程(第三課程)作曲科及び修士課程電子メディア作曲科を経て、現在OeAD奨学生としてアントン・ブルックナー私立大学およびベルン芸術大学の共同博士課程に在籍中。

    主な受賞歴に安宅賞、クロアチア国際作曲コンクール "New Note" 最年少優勝、伊OgMB国際作曲コンクール優勝、独メンデルスゾーン全音楽大学コンクール独連邦大統領賞、日本音楽コンクール作曲部門第2位及び岩谷賞、サントリー財団主催芥川作曲賞最終選考ノミネートなど。 作品は国内外で演奏されており、サントリー財団主催サマーフェスティバル、ダルムシュタット夏期講習会などに作品が選出される。アンサンブル室町、Osnabrück Theater, Ensemble Recherche、IEMAなどの、アンサンブル団体からの委嘱も多い。第44回サモボル音楽祭招待作曲家。作曲をこれまでに大久保みどり、愛澤伯友、近藤譲、鈴木純明、Sidney Corbett の各氏に師事。公益財団法人クマ財団クリエイター奨学生2期生。
    公式HP: http://www.watarumukai.com/
    インタビュー: https://ensemblefree.jp/interview_mukai.html

    楽曲解説

    文責 : 向井 航
    向井 航 ダンシング・クィア オーケストラのための (委嘱作品/世界初演)

    この作品は、1960年代のヴォーギングなど、アメリカのクィア・コミュニティでのダンスカルチャー及び2016年にフロリダ州オーランドのゲイナイトクラブで起きた銃乱射事件の二つを基に作品を構成している。オーケストラの中央には、アクティビスト(役)のソリストがメガフォンを持って座り、ヒラリー・クリントンやレディ・ガガなど、著名な政治家やアーティストのクィアの人々に向けた言説から、アート・アクティビズムを行う試みである。

    私は現在、大学の博士研究員として、ゲイタウンにおいてフィールド調査をおこなっているが、クィアにとって踊ることは今もなお重要な意味がある。前述のオーランドのゲイクラブ銃乱射事件でも、犠牲者の追悼のために、ロンドンでヴォーグを踊り続ける動画が、SNSで急速に拡散された。ヴォーグは、1960年代アメリカの都市部で「ボール・ルーム」と呼ばれる、ブラックコミュニティやラテンアメリカ人のクィア・コミュニティの中で生まれたダンス・ムーブメントであり、ヴォーグを踊ること(=ヴォーギング)は、自己表現とアイデンティティの解放を意味する。クィアにとって、ヴォーグとは、人種やLGBTIQ+コミュニティに対する差別や偏見に対する抵抗であり、反逆である。

    私はヴォーグを作品に落とし込むために、Vogue-Femme(Dramatics)のダンス動画を分析し、一つ一つ動きに対応させた響きのモーメントを作り出した。それらは打楽器のAnvilによって区切られる仕切りの中で、クィアの人々に向けた政治家やアーティストの細切れにされたスピーチと共に提示され、強迫的に繰り返される。さらに、LGBTの象徴でもあるレインボーフラッグがヒッピームーブメントからも参照されたことから、私の過去の作品から「極彩色」(ヒッピーの楽園クリスチャニアをテーマに作曲)、ゲイ・アイコンであるジュディ・ガーランドの「Somewhere over the rainbow」を引用し、平和と愛、そして"You are not alone."のメッセージと共に、作品のアクティビズム性はより強調される。

    Martin Luther King, JR

    私は、言葉と音楽の力を信じている。この作品は、「私」の言説である。

    プロコフィエフ 交響曲第2番

    プロコフィエフ 交響曲第2番は別名「鉄と鋼の交響曲」として知られている。激しい、強烈な音響が特徴であるこの曲は、完全5度の多用、不協和音、複調、オスティナート等極めて実験的な作品である。彼は、パリで成功したストラヴィンスキーの「春の祭典」のモダニズムに憧れ、彼の挑発的で、アヴァンギャルドな姿勢が全面に現れている。

    意外と知られていない話であるが、日本に初めて上陸した著名な西洋作曲家が、プロコフィエフである。彼はロシア革命の直後、アメリカに亡命するため、シベリア鉄道で大陸を横断し、その後日本に渡った。彼が27歳の時であった。そして約二ヶ月の日本滞在を経て、サンフランシスコへ渡るものの、なかなか機会に恵まれず、パリに旅立ち、そこで作曲されたのがこの交響曲第2番である。彼は、ロシアで育った彼が祖国を離れ、日本、アメリカ、そしてフランスと、文化も言葉も全く違う国を転々としながら、自分の音楽をストイックに追求した。グロテスクな音響で攻撃的な第1楽章と、抒情的な弦合奏と、オーボエのソロが美しい第2楽章の対比が見られる交響曲第2番は、初期の作品でありながら、プロコフィエフの真髄と言えよう。

    私ごとであるが、現代音楽の作曲家を目指すきっかけとなったのは、プロコフィエフである。小さい頃から彼の作品に魅入られた私は、お小遣いを貯めて彼の楽譜を買い、図書館で彼のCDをたくさん借りて何度も聴いた。特に彼の初期の作品に憧れて、この交響曲第2番もお気に入り作品の一つである。この作品は、非常にドラマチックに構成されていながら、テンポを巧みに変化させ、曲が破綻しないギリギリを攻めている。特に第2楽章では、そこに彼の持ち味でもある勝負強さと、技術力の高さがうかがえる。この楽章は第6変奏からなる変奏曲形式になっているのだが、中盤から終盤にかけて、ここの作曲技術が凄すぎて、毎回聞くたびに脱帽してしまう。対位法の鬩ぎ合いから、徐々に巨大なユニゾンへと音響を変容させ、全てのパートが暴力的に同一のリズムを刻む。そして、そこから歌謡的な美しい主題の再現を始める。ここのドラマの弛緩が凄すぎて、凄まじいカタルシスを感じる。この他にも、超低音に常に蠢くようなバスを配置し、異なる質感の音響を巧みに配置するなど、とにかく細部まで凝っている。常に聴衆を飽きさせない工夫が施されている。

    初演されたパリでは、この作品はあまり評判が良くなく、プーランク以外の作曲家達の反応も、とても冷たい反応だったと言われている。そのため、若くしてロシアの超エリート作曲家として名を挙げ、挫折を知らなかったプロコフィエフ自身は、自分の才能に懐疑的になってしまったというエピソードが残っている。今も昔も、作曲家として一番悲しいのは、初演が終わった後、自分の作品に対して誰にも気に留めてもらえないこと、だと思う。私も、ハンガリー・ブダペストで作品を初演した時に、自分としてはすごく良く書けたつもりだったが、全く反応がこないことがあった。たまたま客席に著名な作曲家が座っていたので、自分の作品ついて感想を聞いたところ、「正直あなたの作品を覚えていない」と言われ、ひどく落ち込んだ。全ての観客に作品を気に入ってもらうのは非常に難しいことだが、議論にすらならないのは、論外ということである。そしてその時から、作曲をする際はその経験を一種の教訓として常に忘れず、心に留めるよう努めている。

    今も昔も、プロコフィエフは自分にとって憧れの作曲家であるが、彼もそのような悩みがあったと知り、少し親近感が沸いた。

    チャイコフスキー 交響曲第6番

    レクイエムのような序奏部で始まる、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は、彼が完成させた最後の交響曲であり、彼が残した作品の中でも、最高傑作の一つと言われている。この交響曲第6番「悲愴」には様々な逸話が残っているが、その一つに彼のうつ病に纏わるものがある。彼は若い頃からうつ病を患っており、この「悲愴」を作曲時にも鬱状態、もしくは鬱であった頃を反映しているのではないか、という話である。作曲家には、全く病まないタイプもいるが、私も、(チャイコフスキーと同列に自分を語るのは、なんともおこがましいが、)作曲に取り組んでいる内の大体は、鬱状態にあることが多い。それほど作曲という行為は精神が削られるものだと実感する。この鬱状態には、さまざまな程度があり、作曲が出来る状態の時もあれば、一日中横になっている状態もある。しかし一貫して言えるのは、病んでいる時ほど、いい曲が書ける(錯覚かもしれないが....)点である。現代において、作曲にもさまざまな方法があるが、作曲という作業で一番大事なのは、自分が紡いだ音楽を "感じる" 作業であり、この作業が作曲家を(少なくとも私を)病ませる原因だと私は思っている。私は作曲を、近藤譲先生に習ったのだが、先生はレッスンの中で、常に曲の最初から音楽を見直し、次にどの音が来るべきなのか、最善な音を並べなさい、とよく言っていた。作曲というのは無駄を削ぎ落としつつ、常に音を感じ続けながら、緻密に作品を構成し、自分が設定したコンセプトに沿って創りあげていく。交響曲の場合、沢山の楽器を扱う必要があるため、(オーケストレーションと呼ぶ)、音を紡ぐだけでなく、限りなく無数にある可能性の中で、どの楽器を重ねるのか(例えば、フルートとオーボエに同じ旋律を吹かせる、チェロに内声を持ってこよう)など、一番適した組み合わせを選択する必要がある。

    この鬱状態で作曲している時は、非常に精神を研ぎ澄ましている状態なので、音楽を含め色々な影響を受けやすい。しかし、自分の作り出す音楽に敏感にならなければ、良い音楽は生まれない。(と個人的に思う。) そして極限まで音楽について悩み続けた結果、これだ!と思えるアイディアに出会えるのである。但し、そのアイディアがあったところで、生かさない限り本末転倒なので、そこからまた長い途方の暮れる岐路を経て、一つの作品が出来上がる。作曲というのは一つの作品に非常に時間がかかるので、委嘱が重なったりする場合、同時に作業を進めていく。こうして作曲家は終わりの見えない道をループするように、ずっと辿っていく...彼は53年間の生涯の中で、相当な回数うつ病を経験したらしいが、天才作曲家である彼が、そうやって音楽に真摯に向きあい続けることで、後世に残る名作を数多く作曲した。

    この交響曲第6番「悲愴」は、60分近い大作であるが、初演後、チャイコフスキー自身が、人生で一番の最高傑作だと証言していたらしい。実際にこの作品を分析してみると、内容の充実はもちろんのこと、第4楽章の中で、第1楽章で起きた伏線が全て回収されるなど、作品にさまざまな仕掛けがあり、メロディやハーモニーが美しいだけでなく、金管や弦楽器の使い方やオーケストレーションも非常に効果的であり、間違いなくロマン派の交響曲の中で最高傑作の一つといえる。私もオーケストラを書く上で、この作品は沢山勉強した。

    今回、拙作と並んで、プロコフィエフ、そしてチャイコフスキー「悲愴」と一緒に演奏していただけるのが、本当に嬉しくてしょうがない。

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