ラファエル・ナシフ(Rafael
Nassif)氏への委嘱は、尺八奏者の黒田鈴尊さんのご紹介で実現しました。ご自身も現代曲の委嘱と初演を精力的に行う黒田さんが、「聞いた後に世界観が変わる作曲家です!」というナシフ氏。委嘱を快諾してくださり、さらに「素晴らしい演奏家の黒田さんにもぜひ参加してほしい!」と木管楽器とオーケストラのための曲を書いてくださりました。
7月初旬、コンミス早矢仕(はやし)が、ナシフ氏に現在の拠点、オーストリアのグラーツにてインタビューを行いました。
- 早矢仕
- このような美しい作品を書いていただき、団員一同心より感謝しております。指揮の浅野亮介氏も直接お礼を伝えたいとのことですが、日本に来られる予定はありますか?
- ナシフ
- 機会があればまた日本に行きたいと思っています。
- 早矢仕
- 前にいらっしゃったことがあるんですね。いつでしょうか?
- ナシフ
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入野賞室内楽受賞作品コンサートの際に来日しました。
- 早矢仕
- 日本の印象はいかがでしたか?
- ナシフ
- 日本の音楽家は私に非常に親切にしてくださいました。作曲家とスコアに対し非常に敬意を払って作品に向き合ってくれました。
作曲家への道
- 早矢仕
- なぜ作曲家という職業を選択したのでしょうか?
- ナシフ
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私は作曲家という職を"選択"したわけではなく、自然とそうなった(作曲家になった)というのが実際のところです。
私は幼い頃から音楽をよく聞いていました。(10歳頃に)学校で音楽の授業が始まった後、自分でも曲を書くようになりました。
自分が演奏するピアノの作品を数多く書き、その後他の楽器のための作曲も始めました。専門的に作曲を学ぶことができるようなところのない小さな町に住んでいましたので、これらは全て独学でした。
10代で他の街に行く機会があり、プロの作曲家と交流するようになりました。彼らの存在は私にとって非常に大きな励みになりました。15歳の時、ピアノのリサイタルで初めて自分の曲を披露しました。その後作曲が自分の音楽活動の中でメインになることを確信し、最終的にBelo
Horizonteのミナス・ジェライス連邦大学(UFMG)で作曲の勉強を本格的に始めました。
- 早矢仕
- 子どもの頃はどんな音楽を聞いていましたか?そしてそれが現在の作曲活動とどのように結びついていますか?
- ナシフ
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父はプロの音楽家ではありませんが、彼は音楽が大好きで、当時から既に大量のLPやCDのコレクションを持っていました。父のコレクションの中には様々なジャンルの音楽が混じっていましたが、個人的には器楽の作品が気に入っていました。プログレッシブ・ロックもたくさん聞きましたが、徐々に私の興味はクラシックへと移っていきました。
その後の現代音楽との出会いが、私にとって非常に大きな転機となり、多くの影響を受けました。現代音楽と出会ったことで、私にはこれまでの伝統的な概念を超えた全く異なるものが見えてきました。これは私にとって、音の"新たな可能世界"といえるものでした。
- 早矢仕
- 特に影響を受けた音楽家はいますか?
- ナシフ
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世界的な作曲家を挙げるとキリがないので…そうですね、研鑽を積んでいた時期に直接助言をいただいたMarlos Nobre, Almeida Prado, Marcos Balter, Edmundo
Villani-Côrtesといった当時のブラジルの作曲家の方々を挙げてみましょうか。
私のピアノの師匠であるAndré Piresは偉大な音楽家であり、私は若い頃彼から非常に大きな影響を受けました。
- 早矢仕
- あまり彼らのことを存じ上げず申し訳ないのですが、どのような音楽を対象にされていたのですか?
- ナシフ
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いえいえご心配なく(笑) 最初の4人の方は作曲家です。
Marcos Balterは今でもアメリカで非常にアクティブに活動している作曲家で、まさにプロの音楽家です。Marlos Nobreについては、'concerto breve'、'ukrinmakrinkrin'、'tocatina, ponteio e final'、'quarteto de cordas 1'を聴いてみることをお勧めします。
Almeida Pradoは既に2010年に亡くなっています。私は彼との思い出のために、ピアノの小品('ainda que sob véus')を書きました。彼はMessiaenにとても近しい弟子でした。私は特に彼の'cartas celestes 1'が大好きです。
Edmundo Villani-Côrtesは広範な作品を残しています。彼は非常に穏やかで謙虚な音楽家で、自身の作品にブラジルのポピュラー音楽の要素をよく用いています。
- 早矢仕
- ありがとうございます。聴いてみます!