アンサンブル・フリーEAST第15回演奏会で関東初演する委嘱作品「And now look! 」の作曲家、高木日向子さんにインタビューをしました。
(写真左上からFg.香取、Trb.石井、Vn.早矢仕、左下からFl.土居、高木 ※敬称略)
作曲家への道
- 早矢仕
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フリーWESTのインタビューで、作曲家を志したきっかけが中学生時代にあると仰っていました。中学校で自分のクラスの曲を作る課題があって、それが面白かったと。珍しい学校ですよね?
- 高木
- そうですね。クラスでひとつの歌を作って文化祭で発表する伝統が、私が入学した時点で30年ぐらい続いていました。
- 石井
- 私立の中学ですか?
- 高木
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国立ですね。そういうのもあって、一般の公立中学よりは音楽をやっている子が多かったのかもしれないですけど、めちゃくちゃ多いわけでもなかったような気がしますが、みんな頑張って何とか作っていましたね。
- 早矢仕
- 高校に上がった後も、作曲を続けられたのですか?
- 高木
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私は音楽科のある高校に進んでピアノを専攻していたので、当時は作曲というよりは、即興で弾いて楽しんだりしていました。
作曲を勉強し始めたのは高校3年生の夏ぐらいですけど、私が作曲に専攻を変えたことが色んな先生に伝わった影響で、先生から依頼を受けて作曲していましたね。
- 早矢仕
- 専攻が変わったとわかったら、すぐに依頼が来るのはいい関係ですね。
- 高木
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私の学年で作曲専攻の人がいなかったのもあると思います。
すごく思い出に残っていることがあって…ソルフェージュの先生から「国公立大学のピアノ科の受験対策の曲を書いてみない?」と言われて初見演奏用の曲を書いたことがあります。最近、違うソルフェージュの先生とお話ししたときに、今もその曲が残っていると聞きました(笑)もう卒業して十何年は経っていますが、もしかしたらまだ使ってくれているのかもしれないですね。
- 早矢仕
- めちゃくちゃいいですね。何回も弾いてもらって。
- 高木
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私自身も知らないところで使われていたみたいです(笑)どんな曲を書いたかもちょっと忘れちゃいましたけど。
そんな感じで高校3年生までは、ゆるく、自分の趣味の範囲内でやっていたという感じですね。
- 早矢仕
- 大学に入って実際に作曲を勉強し始めて、「思っていたのと違う」と感じることはなかったですか?
- 高木
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一応それなりの覚悟で入学したので、途中でポキッと折れるようなことはなかったです。ただ、本当に初めの基礎から始めたので、大変なこともありました。
私の先生は毎年、自分の門下の1回生に「一つのテーマからバリエーションを100曲作る」という課題を出していまして、16小節ぐらいのテーマを書くのでさえ、4か月ほどかかりました。最終的には100曲完成させましたけど、全部提出したときに、先生から苦情が来たらしいです(笑)
- 早矢仕
- どうしてですか?
- 高木
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長すぎてチェックできないからだそうです(笑)私以外にも同じ門下生が2人いて、先生方は計300曲も見ないといけないから…100曲作って、先生に提出するのは10曲に収めていました。
- 一同
- (笑)
- 高木
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100曲の中で色んなスタイルを使いましたね。例えば、モーツァルトなどの伝統的なバリエーション方法に則ったものや、ロマン派らしく作ったもの、あとは見よう見まねで近現代版も書きました。最後の10曲ぐらいは本当に自由というか、代々の先輩方もネタに走ったり、ロック風にしたり、思い思いに作っていました。どんなのを作ったか忘れちゃいましたけど、1曲は盆踊り風にしたのを覚えています。
- 早矢仕
- 色んな種類の音楽が勉強できそうですね。
- 高木
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そういう狙いがあるみたいですね。
そのときは大変だったし、「なんで100曲も作らなあかんねやろ?」と思っていましたけど、今思うと、いい経験をさせてもらえたなあと思いますね。