佐藤伸輝 X アンサンブル・フリー

アンサンブルフリーインタビュー画像

Special Interview

《ロマンスをぶち殺す オーケストラのための》の作曲者である佐藤伸輝さんにインタビューをしました。インタビュアーは、金﨑奎 (当団Tp奏者 事務局長)、池端研人 (当団Tp奏者・事務局長補佐) です。

作曲をはじめたきっかけ

池端
本日はよろしくお願いします。
佐藤
よろしくお願いします。
池端
佐藤さんのご出身は中国で、そこから日本に移り住まれピアノの演奏活動もされてきたと伺いました。演奏活動や作曲を始めるきっかけは何だったのでしょうか?
佐藤
まず、ピアノをちゃんと習い始める前から即興演奏をしていました。親戚の前で「今から〇〇の曲を弾きます!」と言ってオリジナル曲を演奏する、みたいな。それが僕の音楽の始まりです。クリエイティブなところからの出発というか、最初やりたかったのはオリジナル曲を作る、ということでしたね。それから延長線上でピアノを習っていましたが、親にやらされている感じで。やっぱりある時思い出すんですよ、「やっぱ作曲がやりたいんだな」と。そこから自然に作曲を始めました。最初期はただ即興で演奏をして、それを曲と呼んでいました。いいメロディーがあったら覚えておいて、それを思い出しながら演奏するのですが、やるたびに曲がアップデートしていく形で。それは今でも続いています。小学生の時に作った曲も、楽譜はないんですけど今も頭の中に5曲くらいは残っています。
cup1

挑戦的な題名とその背景

池端
今回の作品は「ロマンスをぶち殺す」という挑戦的な題名となっていますが、題名の由来や作曲に至った経緯を教えてください。
佐藤
この題名に特に深い意味はないのですが、内容としては今までの僕の創作活動と直結したものになっています。これまでの活動で、大衆文化に溢れているいわゆる“俗っぽいもの”をあえて現代音楽に取り入れるということをやってきました。例えばポップスの定番のコード進行みたいな。その延長線というか、集大成としての作品が「ロマンスをぶち殺す」です。
池端
例えばJ-POPでは定番のコード進行として、カノン進行などがありますが、「ロマンスをぶち殺す」はそういったものに対するアンチテーゼでしょうか?
佐藤
アンチテーゼではないですね。僕は作品を通して批判的な主張をしたいわけではないですし、それは音楽家がやるべきことではないと思います。“俗っぽいもの”も一つの現象として客観的に眺めています。
池端
そうなんですね。そのような作曲活動をされるようになった理由はあるんですか?
佐藤
そもそも、昔からパロディ的な作品だったり、即興演奏の中で叙情的で陳腐なフレーズを唐突に入れてみることが好きでした。でもなんで好きなのかがわからなかったんですよね。何がこのフレーズを陳腐なものにしているのか、それを考えるために作曲という手段を取っています。あとは僕が逆張りがちな性格なのもあります。中学生の時はクラシック音楽をよく聴いていて、インターネット上のコミュニティを使ってクラシックについて毎日のように交流していました。一部のクラシックの人って、ありきたりなポップス曲を挙げて批判したりするじゃないですか。
金﨑
まあ、イメージは湧きます…(笑)
佐藤
「よくあるコード進行じゃん」とか「創造性がないよね」みたいな会話をよくしていて、それが結構印象に残ってます。その時は、僕はむしろ賛同する立場だったんですよ。世間一般の音楽に対して逆張りをしていたと思います。「僕はお前らとは違うんだぞ」、みたいな。 ただ、高校と大学は音楽の学校で、周りがクラシックの人ばかりになっちゃう訳じゃないですか。それに対して僕が逆張りをするというか、逆に俗っぽいものをあえて追求する路線に切り替えました。僕は今、まさに藝大という日本の音楽のアカデミズムの塊のようなところで学んでいるので、しばらくこの路線は続くと思います。
池端
逆張りを続けていたらいつの間にか逆張りの逆張りになっていた、みたいな。
佐藤
そうです。逆張りをし続けるのは大事だと思います。特に理由はなくても。
池端
新しいものを作るってそういうことですからね。
佐藤
作曲の経緯を説明しますと、去年書いた「たったふたりきり」というチェロとコントラバスのための作品があるのですが、「ロマンスをぶち殺す」はその続編のような位置づけです。「たったふたりきり」は最初から最後までJ-POPの形式や定番のコード進行をそのまま使っていて、その枠組みの中で過剰なほどに叙情的な音楽を展開させる作品で。今回の作品はそれをよりパワーアップさせたものです。
金﨑
「ロマンスをぶち殺す」の中では「NICE MUSIC!!!!」や「So Moving!!!」のような、かなりわざとらしい言葉で奏者に指示がなされていると思います。これは通俗的な“ロマンス”の要素を過剰に表現して欲しいということですか?
佐藤
そうですね。“感動的”という言葉が合っているのかは分かりませんが、これが一つのキーワードになっています。でも、別に感動してほしいわけではなくて、あくまで客観的に“感動的”を眺めたらどうなるかを考えています。この曲は、叙情的に弾いているかと思えば、急にヤバい即興の嵐が来て…といったように、胸を打つメロディーをバラバラに切り刻んで痛めつけているような曲です。そういうメロディーが目の前で痛めつけられるようなことは、聴きに来た方にとっては今まで感じたことがない体験になるんじゃないかと思っています。
金﨑
クラシックを聴きに来る方は特にそうかもしれないですね。
佐藤
そうですね。これを音楽ホールで体験した後に、例えばテレビドラマで感動的なメロディーが流れた時に「そういえば佐藤のロマンスをぶっ殺すみたいな曲あったな」って感じで思い出してくれると嬉しいですね。観客の一人一人の音楽に対する姿勢を変えられるんじゃないかと思いますし、僕が作品を作るうえで大事にしているところです。聴いた後に世界との接し方が変わるみたいな。

作品へのこだわり

池端
「ロマンスをぶち殺す」を作曲される中で特にこだわったところはありますか?
佐藤
やっぱりCrazy Improvisationの箇所です!オケに狂乱の即興を一斉にやらせたときの音響を、どうしても聴いてみたいんですよ。そういう願望から書きました。普通に音を指定しても、皆さん守りに入ると思うんです。「弓の圧をこうして…」みたいに精確にやろうとするんで。音域とかは指定せずに書いたので一番ヤバい音を出してください。
金﨑
どういう反応が起きるのかの実験をしているイメージですか?
佐藤
実験とは少し違って、オケから鳴る音はだいたい想定できているんですよ。ただそれを生で体験したいなという僕の願望です。
cup3

演奏者、作曲者、そして作品

池端
演奏するにあたってアンサンブル・フリーに求めることはありますか?
佐藤
うーん、難しいですね…
金﨑
では、逆にご自身の曲が演奏されるときはどんな気持ちなんですか?
佐藤
「演奏してくれてありがとう…」って感じです。でも演奏中は作品のことばっかり考えちゃいますね。「あの箇所うまくいくかな…」とか。リハーサルや本番中でも、ピアノ奏者としての本番と同じくらい緊張してます。奏者へ望むこととしては…、とにかくespressivoでお願いします!一人一人が役者になってほしいですね。ただし、奏者自身が感動するのではなく“感動的なもの”を演じてください。
池端
では、ここから別の観点で質問させていただきます。今までの人生で一番嬉しかったこと/悲しかったことは何でしょうか?
佐藤
うーん…なんでしょう。
金﨑
あまり感情の起伏がない性格ですか?
佐藤
そんなことはないと思うんですけど、自分が気付いてないのかも。まあ2年追い続けた女の子と実ったことですかね。
金﨑
いや〜それしかないじゃないですか!それですよ!それでしょ!そりゃそうでしょ!
佐藤
実はこのことは、「ロマンスをぶち殺す」の曲名と関連する部分もあります。先に一番悲しかったことを発表すると、その女の子とお別れしたことです。それが作曲していた時期と重なっていて…
池端
先ほど、深い意味はないとおっしゃっていましたが…?(笑)
佐藤
矛盾してますね、まあ人間味があっていいじゃないですか (笑) 時期が重なっているので無意識のうちに反映されている部分はあるかもしれないです。
金﨑
ますます佐藤さん個人と切り離せないような気がしてきました (笑)
佐藤
それでも切り離してほしいですね!奏者が思う一番ロマンチックなものを想像しながら演奏してもらうのがいいんじゃないかなと思います。

好きな作曲家は

池端
好きなクラシックの作曲家はいらっしゃいますか?個人的に、唐突に陳腐なメロディーが現れるのはショスタコーヴィチを連想します。例えば交響曲の9番とか15番とか…
佐藤
ショスタコーヴィチ、大好きです。あとはシュニトケとかも。
池端
ショスタコーヴィチとかサティとかって、深い精神性と皮肉っぽいところが同居しているというか。
佐藤
サティあたりで言うとプーランクも好きです。プーランクこそ、そういった両面性を持っていていいですよね。あとは、ジョージ・アンタイルというアメリカの作曲家の「ジャズソナタ」も好きなんですが、ジャズという音楽をいかに茶化すか、みたいな曲で (笑) 本人がどういう思いで作曲したのかはわかりませんが、私はそう感じています。それでも人の心をワクワクさせるような曲が大好きですね。あとはシュニトケの「ゴーゴリ組曲」など…

ご来場される皆様へ一言

池端
それでは最後に、聴きに来てくださる皆さんに一言お願いします。
佐藤
繰り返しにはなりますが、感動的なメロディーが痛めつけられるのを聴くというのは特殊な経験になると思います。何かしら今後の生活で音楽が流れたときに思い出してくれると嬉しいです。ぜひ聴きに来てください!