作曲家 三好 真亜沙 X 指揮者 浅野亮介

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Special Interview

浅野
作曲家を目指したのは、いつ頃ですか?
三好
興味を持ったのは小学校5年生くらいの時からですね。
幼稚園からピアノを習っていたのですが、その練習の合間に文房具屋さんで見つけた五線紙に自分の考えた曲を書きつけるのが楽しみでした。でも、この時は「楽しいけど恥ずかしい」という感覚で、誰にも見られないようにして自分だけで楽しんでいましたね。
本格的に作曲家を目指したのは高校3年生の時です。
浅野
何かきっかけがあって作曲家を目指したのですか?
三好
高校3年生の時に、楽曲分析や作曲家と社会の関わり、また作曲家に対する作品の位置づけなどを勉強していたのですが、分析しているうちに自分でも表現したくなったんです。
先人からのメッセージに自分の音を+αしたくなりました。分析することに主体的な意義を持ちたくなったんですね。
浅野
特に影響を受けた作曲家はいますか?
三好
クラシック音楽の大家である作曲家で影響を受けていない作曲家などいないと思いますが…ちょうど高校の時にマーラーにのめり込んでいました。
世紀末の熟れすぎて腐り落ちる寸前のような音楽は大好きです。また今回の《天泣》を書いた時は、現代作曲家であるマグヌス・リンドベルイやパスカル・デュサパンの作品をよく聴いていました。
浅野
作曲の喜びとは、どんなところにあるのでしょうか?
三好
終止線を引いた時の充実感と達成感ですね。
大好きなお酒を冷蔵庫に入れておいて、作品を書き終えるまで断酒するんです。書き終えた時の喜びが倍増しますよ!あとは作品が音になった時ですね。楽譜を書くだけでは音楽は完成しません。それはあやふやな設計図のようなもので、私の表現したかったことが演奏家の方々を通して伝言ゲームのように音となって立ち上がってくるその瞬間は、作曲家として大きな喜びを感じます。
浅野
では逆に、作曲家の辛いところは、どんなところでしょうか?
三好
作曲の作業とは一本道ではありません。
たくさんの可能性を思いつきますが、それを一つに絞って音楽として完成させなければいけません。でも、いつも確信を持って一つに絞れるわけではないのです。寧ろ、「絶対にこの道が正しい」と思えない時のほうが多い。そうすると、「やっぱり、あっちの道を進んで行ったほうがよかったかな…」という迷いが生じます。それが酷くなると、「そもそも、こんな作品でよかったのかな…もっと良い作品になる可能性があったんじゃないかな…」という思いに苛まれます。こういう時は、精神的にとても苦しいです。
三好 真亜沙
浅野
趣味はありますか?
三好
寄席です。元々面白い話は大好きなのですが、私の通っていた東京藝術大学のある上野には、有名な寄席があるんです。日本の伝統芸能にも興味がありましたし、学生の頃はよく通いました。今は京都に住んでいますので、なかなか行く機会が無いのですが、上方落語にも時間を見つけて行ってみたいと思っています。
浅野
今回演奏される《天泣》とは、簡単に言うとどんな作品でしょう?
三好
「天泣」とは晴れているのに雨粒が風に運ばれて降ってくる所謂「天気雨」のことです。
「狐の嫁入り」とも言われますね。作品は、そんな雨粒がポツリポツリと降り出すような場面から始まります。ただ、ずっと「天泣」を描写しているわけではありません。寧ろ「天泣から始まるストーリー」と言ったほうが正確かもしれません。
浅野
《天泣》を作曲するにあたって、どんなところに力を入れましたか?
三好
作曲家にとってオーケストラ作品を書く機会というのは、そう多いものではありません。
私はこの作品が自分の「最初で最後のオーケストラ作品になるかもしれない」という思いから、たくさんの実験を詰め込みました。
やりたいことは全部やり尽くしたい…という気持ちで書いたんです。
浅野
そうですね…ちょっとやりすぎ…いや、何でもありません。
三好
いや…オーケストラ奏者の皆さんには本当にご苦労をおかけしていると思います…。
オーケストラとはたくさんの楽器の集合体です。一つの楽器が音楽を奏でる時、それを支える別の楽器があります。またそれを支えるために別の楽器があり…音楽というエネルギーを支え合い、受け渡しあって行きます。たくさんの部品を皆で加工し作っていく大きな工場のようでもあり、一つの大きな生き物のようでもあります。このエネルギーの制御が本当に難しかったですね。
三好 真亜沙
浅野
この作品に関しては、本当に複雑で、制御できるかどうかギリギリのところですね…
三好
意図的にそのように組み立てたところもあります。
言いたいことがあるけど思い切ってオープンにするのはちょっと躊躇われる…そんな精神性の持ち主の方には、ひょっとすると、共感していただけることがあるかもしれません。
この作品の本当に表現したいことは、よく聴かないと聴こえないようになっています。意図的に隠してあるんです。
この作品を聴いて「何がしたいんだ??」と思う方もいらっしゃると思います。でも、言いたいことがあるけど言いたくない、分かってもらいたいとは思わないけど、やっぱり誰かには分かって欲しい…そんな作品です。
浅野
この作品の聴きどころは、どんなところでしょうか?
三好
本当に書きたかった3小節ですね。たくさんの複雑なことを書きましたが、それは全て、その3小節のためにあります。
ここだけは、はっきりと私の言いたいことを書いています。それがどこなのか…是非思いを巡らせながら聴いていただければと思います。
浅野
これから作曲家として、どんな作品を書いていきたいですか?
三好
今は生物学における「相補性」という概念に興味を持っています。これは遺伝子やDNAの研究などで使われる言葉ですが、動物の体は時間とともに欠損が生じます。
その欠損が生じたところを別の遺伝子が補完し、またその遺伝子が欠損すれば別の遺伝子が補完する…生命活動とは、このような柔軟性を持ちながら維持されるのですが、この「相補性」にヒントを得た建築物などもあるそうです。だったら、音楽にも応用できないかな…そんなことを考えながら、作品の構想を練っています。
浅野
最後に5月22日の演奏会を聴きに来て下さる方に、メッセージをお願いします!
三好
本当に音の多い作品で、演奏家の方々には大変なご負担をかけていると思います。しかし、練習に立ち会い、オーケストラの集中力の高さとチャレンジ精神にとても感銘を受けました。
この作品は藝大フィルハーモニアという東京藝術大学のオーケストラによって初演されましたが、その時とは全く違う作品の側面を見ることができそうで、私自身、演奏会での再演をとても楽しみにしております。
あまりに音が多すぎて音のシャワー…それも栓が故障したシャワーを浴びるような感覚になるかもしれませんが、そこを私と一緒に是非楽しんで下さい。
熱い演奏になりそうです!!