《白い風、青い夜》の作曲者であり、第31回芥川也寸志サントリー作曲賞を受賞した桑原ゆうさん (写真上段左端)、同曲の琵琶独奏を務める久保田晶子さん (同中央)にインタビューをしました。
インタビュアーは、浅野亮介 (当団指揮者、同右端) 、三味線経験者の宮野綾 (当団Cl奏者、写真下段左) 、石井宏宗 (当団Tb奏者・事務局長、同右) です。
作曲家 桑原ゆうの始まり
- 浅野
- 作曲を始めたきっかけは何ですか?
- 桑原
-
まず、親の意向で3歳から某音楽教室でグループレッスンを始めました。 そのときの先生が面白くて…伴奏づけや即興演奏などを積極的にさせる先生でした。
それで、小学校一年生のときに、3拍子の曲で散歩しそうにないものを散歩させたいと思って、「キリンのお散歩」というタイトルで初めて作曲しました。
- 浅野
- 可愛いです。でも、3拍子だからお散歩っぽくないですね。
- 桑原
-
そう、何もかもがお散歩っぽくないじゃないですか(笑) その頃からちょっと捻くれていたというか…先生のご指導の影響もあり、自分で工夫して何かをすることが小さい頃から好きでした。
- 浅野
- なるほど。
- 桑原
- 小学生の頃は自由に作曲や即興演奏、伴奏づけなどをして、中学生の頃に作曲家になろうと思いました。
- 浅野
- 早いですね!徐々にそういう思いが自分の中で固まっていった感じですか?
- 桑原
- というより、それしか考えられなかったというか…他の選択肢が自分の中になかったです。
- 浅野
- 作曲家になる前は別のお仕事をされていましたか?
- 桑原
-
していません。アルバイトは色々しましたが。 自分の道がしっかり見えていたのかはわかりませんが、自分には作曲しかなかったので、高校の志望校を決める前に藝大に行こうと決めていました。
- 浅野
- そのときから作曲家になるという自信があったんですかね?
- 桑原
- 自信はいつもないですよ。だから、ちょっと不思議ですよね。 しかも、最初から芸術音楽の作曲家になりたかったんです。
- 浅野
- なかなか珍しいですね。 そもそも中学生の段階で芸術音楽に接する機会があまりない気がしますが…
- 桑原
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でも、何か素養があったわけでもないんですよ。 クラシック曲は弾いていましたけど、ちゃんと好きになって聴き始めたのは中学生の頃です。
最初に好きになった作曲家はドビュッシーやラヴェルでした。
- 浅野
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その影響なのかわからないですけど…桑原さんの色んな作品を聴かせていただく中で、ドビュッシーの響きみたいなものが裏に聴こえるような気がしました。
それで勝手ながら、今回のプログラムにドビュッシーの牧神を選んだんです。 あとは、せっかく芥川賞を受賞されたので芥川の作品を組み合わせてみようと思いました。