大胡恵 X アンサンブル・フリー

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Special Interview

《親和性によるグラディション第3番》の作曲者である大胡恵さんにインタビューをしました。インタビュアーは、浅野亮介(当団指揮者)、石井宏宗(当団Tb奏者・事務局長)です。

作曲をはじめたきっかけ

浅野
今日はどうぞ宜しくお願いします。色々なお話を伺っていきたいのですが、まずは大胡さんがどういった経緯で作曲家を目指されたのかをお話しいただけますか?
大胡
こちらこそ宜しくお願いします。僕は子供の頃からピアノをやっていて、周りは僕をピアニストにしたがっていました。だけど僕は全然やる気がなかった。サッカーやバスケットなんかもやっていて、そっちで友達と遊びたかったのだけれど、ピアノの練習があると、僕だけ途中で帰らないといけない。それが嫌で嫌で。そこで合法的(?)に、ピアノの練習をしなくていいように、家から往復4時間ぐらいかかる所にあるサッカー・クラブに通うことにしたんですよ。家にいなければ、ピアノの練習をしなくて済む。「頑張ってサッカーの練習をしてる」って言うと、ピアノの練習が嫌ってことがバレないじゃないですか(笑)ただ僕はピアノが結構上手かったんですよ。同世代くらいの子が、かなり頑張って練習しても演奏出来ない曲が、結構簡単に出来たりして。周りからは「才能がもったいない」とか言われたんですけど、どうしても好きになれなかった。高校生の頃には、先生から「ちゃんと譜面通りに演奏しなさい」って言われることにムカついてきまして…
浅野
反抗期ですね。
大胡
はい。自分はフォルテで弾きたいのに、「そこはメゾ・ピアノで」とか言われると、「何で?」って。自分の好きな小節を、譜面を無視して、何度も繰り返し演奏したり。かなりテンポを落として、自己陶酔気味に演奏したり。自己流で演奏していると、当時のピアノの先生と少し険悪になってしまって。そうなってくると、段々「誰かが作った曲より、自分で作った曲を演奏してみたい」と思うようになって。「じゃあ作曲やるか」って。それが高校2年生の頃です。
浅野
めちゃくちゃ我が強いですね(笑)
大胡
…あと、当時の先生の指示で、ブラームスとショパンを弾くことが多かったんですけど、「そこは、こういう風に弾きなさい」って言われても、それはその先生のやり方であって、ブラームスとショパンが言っているわけではない。
浅野
確かに。
大胡
作曲家本人が生きていて、彼らから色々言われるのなら納得出来ます。でも、先生の意見が、もしブラームスとショパンのそれとは違うものだったら?と想像すると、「僕は一体、何をやってるんだろう」ってなってしまって。そんなこんなで、どんどん嫌になってしまいました(笑)
浅野
今までに話を聞いた作曲家達も同じようなことを言っています(笑)大胡さんってすごく寡黙な人かと勝手に思っていたんですけど。
大胡
寡黙?そうですか?
浅野
リハーサルでは、必要以上のことはあまり喋らないじゃないですか。
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現代音楽の譜面と練習方法

大胡
演奏に必要なことは、基本的に全部楽譜に書くタイプなので、口で言わなくても楽譜を読んでもらえれば…理解してもらえるかと。逆に、演奏家に「楽譜の向こう側」みたいなことをされると困ります。全部書いてあるので。
浅野
我々、演奏家へのプレッシャーが凄い(笑)「勝手な解釈はするな」と。
大胡
そうですね。勝手な解釈はとても困ります。こちらが求めていない要素を足されると、「書いてある通りにやってくれればいいのに」と。
浅野
わかりました。肝に銘じてリハーサルに臨みたいと思います(笑)
大胡
ただ、結構難しいとは思います。演奏家も別に悪気があるわけではないし。全否定はしたくないんですけど…まぁ困るというか。「どうしたらわかってもらえるのかな?」って思うことはありますね。
浅野
演奏するにあたって、勝手な解釈に基づく要素はいらないんですね。
大胡
はい。全然いりません。素直に〈1+1=2〉みたいにやってほしい。なので、「本当にこの〈1+1〉は〈2〉なのか?」とか言われると、「いやいや〈2〉だから」って。
浅野
石井さん、バトンタッチしていいですか(笑)?
石井
いやいやいやいや、浅野さん頑張ってください(笑)
浅野
これ以上の圧力を受けるのは、精神衛生上いかがなものかと思うんだ。
大胡
でも作曲家からすると、譜面に書ききれていない方が意地悪だと思いますよ。その方が、幾つもの解釈の余地が出来てしまうから。やりづらい筈ですけどね、その方が。
浅野
演奏家の自由になる部分は少ないってことですね。
大胡
僕の作品は、古典的なものと比べると、結構自由に、伝統からの束縛を放棄して書いているので、さらにそこからも自由に演奏されると、下手すると1周回って元に戻ってしまうというか。
浅野
確かに、譜面にひたすら忠実という姿勢に徹すると、演奏し易いかもしれません。
大胡
そう思います。現代音楽の場合、色々なスタイルの作品に当てはまると思う。アカデミックな作曲の学習をしていく中で、譜面だけで伝えきることの重要さを意識するようになったのだけど、僕に限らず、アンサンブル・フリーEASTのような伝統的なスタイルのオーケストラと仕事をする作曲家は、その多くが、同じようなアカデミックな学習を経ている。なので、ほぼ例外なく、譜面で伝えきることの重要さは意識していると思う。だから、〈楽譜に書かれていることが全て〉ということが多い。演奏家によっては、深読みし過ぎる人がいて、勿論良かれと思ってやってくれているのだろうから、全否定は出来ませんけど、こっちからすると、「そこまでは求めてないのになぁ」って。
石井
「こういったフレーズはこう演奏したい」っていうのが、クラシックを演奏している人にはあると思うんです。現代音楽を演奏する時に、それを変に出しちゃって上手くいかなくて、試行錯誤した結果上手くいった時に、「結局これ、譜面に書いてある通りじゃん」みたいなのはありますね。
大胡
作曲家は、演奏の結果における理想を書く人が多いので、ちゃんと、書いてある通りに演奏する方がやり易いと思います。あと、練習のやり方・段取りの問題もあるかもしれない。楽譜を通して目に飛び込んでくる情報の全てを、一気に処理しようとすると大変なので、まずはリズムだけを見て、慣れてきたらアーティキュレーションを足して、さらに慣れてきたらダイナミクスを足して、というように、順を追って取り組んでいく。目から入る情報の、どの要素から優先順位をつけて見ていくのか。一度にやろうとすると、実際の記譜以上に複雑に感じてしまう。
浅野
練習もシステマチックにやった方がいいってことですね。
大胡
そうすると、譜読みが苦手な人でも、結構とっつき易くなると思います。作風は関係ないと思いますよ。どんな曲でも当てはまると思います。
浅野
うーん、これはいいヒントをもらえました。いきなり物凄く濃いお話を聞けましたね。
石井
そうですね。
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影響を受けた作曲家

浅野
大胡さんは、影響を受けた作曲家や演奏家はいますか?
大胡
勉強していて凄く印象深かったのがピエール・ブーレーズとブライアン・ファーニホウ。20歳の学生時代から卒業後の30歳頃までの間に、学位とか関係なく、色々な作曲家の楽譜を分析していました。中でも、ブーレーズとファー二ホウの(一部ですが)作品を分析すると、彼らの、自身の作品への拘りと愛情の凄さを、ひしひしと感じた。作品のスタイルには全然影響を受けていないけど、作曲への取り組み姿勢には、かなりの影響を受けました。
浅野
ちなみにブーレーズのこの作品がイチ押し、みたいなのはありますか?
大胡
《レポン》のような、それまでの一般的な管弦楽法から離れて作られてる作品群ですかね。
浅野
ファーニホウだったら?
大胡
分析していて、一番愛憎入り混じったのが《弦楽四重曲アダジッシモ》です。
浅野
愛憎入り混じったんですか(笑)
大胡
ファーニホウの作品って、とても複雑で細かいリズムが沢山書いてあるんですけど、「もっと簡素な書き方をしようと思えば出来るのでは?」と、ずっと思っていて。《弦楽四重奏曲アダジッシモ》から、〈簡素な書き換えの可否についての分析〉を始めてみました。当初、「ああ、やっぱり出来るじゃん、ここも、あっここも」っていう感じで快調に進んでいったんですけど…そしたらなんと…あるポイントでとうとう…あの書き方じゃないと表現出来ないリズムと出会ったんです。多くは簡素に書き換えられたんですけど、少し「ああっ!出来ないっ!」っていう部分があった。その後、他の幾つかの室内楽作品を分析してみても、あくまで〈当時の自分が分析した限りでは〉なんですけど、ファーニホウの作品はそんな感じ。正直に言うと、「ちょっとこいつなんだよ」と思いました(笑)もし彼が同級生とか友達だったら、口喧嘩くらいしていたかも。「お前なんなの?」って(笑)
浅野
めちゃくちゃ面白いんですけど(笑)ただ、その書き方でないと成立しないんですよね?
大胡
そうです。あの書き方じゃないと成立しない部分が少しあって、そこに歩調を合わせようと思うと、全体をああやって複雑に細かく書くしかないんです。当時は僕自身が若かったこともあって、「ちょっとどうなのよ」とは思ったけれど、すごく印象に残りました。やっぱりこれぐらい、自身の表現に愛情がないと、作曲はやっていけないんだなって。
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現代音楽の魅力

浅野
現代音楽の魅力はどういうところにあると思いますか?
大胡
何でもありなところですかね。評価されないってことも受け入れてしまえば、ヨーロッパの偉い人が決めた哲学とかを全部無視してもOKなところ。
浅野
評価されなくてもいいんですか?
大胡
その代わりに自由を手に入れるって感じですね。
浅野
大胡さんは自由の方が重要なんですね。
大胡
そうです。
浅野
さっきのファーニホウもそうですけど、現代音楽って一般聴衆が聴いてもわかんないじゃないですか。「ポカーン」ってするしかない。でもその状態を許容するってことですかね?
大胡
作品に、その作曲家のスタイルじゃないと表現出来ないものがあるのなら、結果的に「ポカーン」でもいいんじゃないですかね。
浅野
現代音楽って、聴衆の獲得が難しいっていう問題を、ずっと抱えてるじゃないですか。アンサンブル・フリーEASTでは、沢山の人に大胡さんの作品を聴いてもらうために、「どうやったらお客さんを集められるか?」といった話をよくするんですが、そもそも作曲家がそれを望んでないこともあるんですね。
大胡
あくまで僕個人の場合ですが、作品を作る・作らないということと、多くの人に聴いてほしい・ほしくないは、あんまり関係ないですね。聴いてほしくて作っているというより、自分が作りたいから作っているので。自分が一番、その音を聴きたい。リハーサルみたいに、お客さんがいなくても、自分が聴ければそれで満足します。
浅野
「自分が納得できれば、それでいい」と。
大胡
そうです。お客さんに楽しんでもらうためのギフトとしての作品ではない、独りよがりな作品っていうのが世の中にはありますが、僕の作品群もその中の一部です。もし、「聴くこと」を誰かに呼びかけるのであれば、「たまには、ちょっとの間、独りよがりなアートを聴いてみませんか?」みたいな感じでしょうか。
浅野
じゃあ、大胡さんにとっては、評価されることやお金を貰えることよりも、作品を作って音にすることが一番大事なんですね。
大胡
はい。お金になる仕事でも、つまらないと思えば断ることもありますし、書きたいと思えば、自分の持ち出しでもやります。
浅野
それだと資本主義社会では生きづらくないですか?
大胡
そこは完全に切り離してるので大丈夫。ということにしています。お金はお金、作品は作品で。作品でお金を作ろうとしている人は、すごく苦労していると思いますよ。
石井
アンサンブル・フリーでは、なんとか一緒に出来ないかって話をむちゃくちゃしてますね。
浅野
うーん、分けた方がいいのかな。この問題はちょっと難しいから引き続き考えます。
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作品のテーマ選びと作曲法

浅野
大胡さんの作品って、不思議なタイトルの作品がありますよね。例えば《「何を育てているの?」「白いヒヤシンス」》とか。
大胡
その作品は、シリアからヨーロッパへ渡る難民達の様子を、オーケストラにトレースしたものです。伝統的なアラブ音楽を形成する素材に、マカームというものがありますが、マカームは、さらにジンスという最小単位に分解出来ます。《「何を育てているの?」「白いヒヤシンス」》では、クルドと名付けられているジンスがモチーフになっていて、それがオーケストラによって演奏されることで、ヨーロッパに渡るシリアの難民達と、彼らを受け入れるヨーロッパの関係を、やや理想主義的に表現した作品です。ヒヤシンスの原産地が地中海東部沿岸であることと、白色の花言葉が慈愛に満ちたものであるため、上記のようなタイトルになりました。
浅野
なんか恋人たちの会話みたいなタイトルじゃないですか。《「なに育ててんのん?」「白いヒヤシンスやで。」》みたいな。
大胡
タイトルだけ見たらそう思うかも。僕の作品タイトルには、〈作品のメカニズムを音楽用語以外のワードに置き換えたもの〉が多くあります。特に文学的な意味はない…
浅野
今回の作品も、ロシアのウクライナへの侵攻の影響を受けて、作品のモチーフを、当初の半終止からアーメン終止に変えていますが、そういった社会的なテーマが作曲のモチベーションになったりするんですか?
大胡
「社会をテーマにしないと、作る意味がない」と思うことはあります。
浅野
そこは自己完結ではなくて、外部の世界と繋がりがあるんですね。
大胡
「今現在だからこそ作れるものでないと、作る意味がない?」と思うことはあって。今回の作品は、和声学における1つのパターンをモチーフにしたものですが、半終止よりもアーメン終止の方が、今現在にフィットすると思いました。
浅野
なるほど。大胡さんのプロフィールに、「或る地域・文化を代表する音楽素材(三和音・ペンタトニックなど)を被写体として定義する、独自の理論に基づいた創作活動」って書いてあるんですが、これはどういった作曲法なんですか。
大胡
例えば、長三和音をモチーフにした場合、〈長三和音で喜びを表現する〉ではなく、〈長三和音そのものを描く〉という考え。
浅野
〈長三和音そのものを描く〉って、長三和音をポーンと鳴らせば、それは描くことになる?
大胡
そうです。それを色々な角度から描く。例えば、コップを長三和音だとして、正面から見たり、上から見たり、持ち上げて下から見たり、色々な角度からの視点を組み合わせていく。このコップ(長三和音)が、別のものに変わるわけじゃない。このコップ(長三和音)を、色々な角度から見ているだけ。
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浅野
じゃあその作品だと、長三和音しか出てこないのですか?
大胡
そうです。他の素材は出てきません。
石井
今回の作品もそんな感じがしますね。
大胡
そうです。今回はアーメン終止だけ。
浅野
「アーメン終止の、視点の移り変わりを楽しんでほしい」みたいな感じですか?
大胡
…いや、自分が楽しんで書いています。周りがどう思うかは…
浅野
この人、あくまで徹頭徹尾にそうなんだ(笑)
大胡
そうです。周囲の感想は知ったことではない(笑)
石井
我々に対しても「演奏してくれるのかご苦労!」っていう感じなんですね(笑)
浅野
じゃあ、今回の作品で扱わなかった半終止で、新作を書くことも出来るんですか?《親和性によるグラディション第5番》とか?
大胡
2012年以降に作った僕の作品は、殆どが《親和性によるグラディション第1・2・3・4番》までのどれかに由来しています。モチーフはそれぞれ、《1番》が自分の耳(による音の聴取の傾向)。《2番》が音階。《3番》が和声学における1つのパターン。《4番》が和音。これで一応、全部が出揃ったイメージなので、《5番》以降はないかと。また、僕の作品には《〇〇の行方》という、音を音楽にするための素材(アーティキュレーションなど)がモチーフになっている連作があるのですが、音程については、長三和音だけで書いたり、ペンタトニックだけで書いたり、《親和性によるグラディション第1・2・3・4番》から派生したものとなっています。
浅野
大胡さんの作曲スタイルは確立された感じがしますね。40代にしてスタイルを確立するのは、作曲家にしては早い方なのでは?
大胡
そうですかね…ただ、「30代のうちに、なんとか自分のスタイルを身につけよう」と、かなり頑張りました。方向性が定まっていないと、誰かのコピーや、参考書に書いてある知識を作品にするだけになってしまいそうで…それだと、あんまり作曲を楽しめない気がしたんですよね。
浅野
なるほど。
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今回の作品について

浅野
今回の作品《親和性によるグラディション第3番》について、お話を聞かせてください。まず、この作品を、より一層楽しむためのポイントを教えていただきたいのですが。
大胡
アーメン終止しか描いていないってことですかね。曲は全部で6つのセクションから出来ていて、〈セクション6〉は、とてもわかり易い形でアーメン終止が表現されています。〈セクション1・2・3・4・5〉は、色々な見せ方をしてあって、「たった1つのモチーフが、こんなに姿を変えるのかぁ」といった楽しみ方があるように思います。
浅野
なるほど。コップもずっと見ていたら、面白くなってくるかもしれません。
大胡
同じコップなんですけど、それが、短い時間にパッパパッパと姿を変えるので。例えば、「1小節目から4小節目まで、殆どが正面から見えているのに、2小節目の2拍目だけは、横から見える」というように。被写体はずっとアーメン終止なんですけど、見え方によって、結構ダイナミックに変わっていきます。
浅野
ゲシュタルト崩壊を起こしそうですね。アーメン終止とは?みたいな。今回の作品を作曲するにあたって、一番力を入れたことは何でしょうか?
大胡
今回の作品は、思いついてから仕上げるまで、物凄く時間がかかりました。思いついたのが2012年なんで、丸10年かかりました。
浅野
めちゃくちゃ時間がかかってるじゃないですか!大作ですね。
大胡
書いている途中で何回も破棄したり、一旦終止線を引いたんだけど、ちょっと寝かせて見直したら、「ダメだ。これはもう破棄!」って。そんなバージョンが幾つもあるんですよ。
浅野
はー、厳しいなあ。
大胡
コード進行をモチーフに描くっていうのが、言葉で言うと簡単なんですけど、いざ作曲作業に入ると凄く難しかったんですね。難しかったというか、納得のいく作品にならなかった。なんで納得いかなかったのかというと、作品の〈セクション1・3〉の世界観だけで考えていたから。〈セクション2・4・5・6〉が発想になかったんです。さっき説明した、コップの視点を変える時に〈セクション1・3〉の世界観だけだと、視点は変わり続けていても、とても淡い変わり方で、どう工夫しても満足出来なかった。それがある時に、視点の距離感を「ガッ」って大胆に変えることを思いついたことで、作曲を先に進めることが出来ました。思いついてみたらとても簡単なことなんだけど、それを思いつくまでに10年かかってしまった。
浅野
設計図を書くまでが大変だったんですね。累々とボツになった作品の屍がありますよね。
大胡
物凄くありますよ。だって10年やってますからね。
浅野
そうですよね。ブラームスみたいやな。
大胡
作品を見直してみて、今回のバージョンが一番納得出来ますし、一番良いと思っています。やっぱり10年もダメ出しを重ねた上でGOサインを出せたものだから。
浅野
これは下手な演奏ができないなぁ(笑)
大胡
ただ、〈セクション1・3〉はかなり難しいと思う…
浅野
めちゃくちゃ難しいですよ、本当に!
大胡
でも最初は、〈セクション1・3〉の要素だけで15分くらいの曲だったから、もっと大変だった気がします(笑)
浅野
それは苦行過ぎます(笑)でも、それだけ拘った作品を演奏させていただけるのは光栄の至りです。
石井
10年、この作品のことを、たまに思い出しては書き足してボツにしてって繰り返していたんですか?
大胡
そうです。例えば、「今年は2月と12月に余裕があるから、そこで完成出来るかどうか…」ってやってみて、「あ~ダメだ、じゃあ来年っ!」みたいな(笑)
浅野
10年もあると、そのうちに自分自身も、ちょっとずつ変わっていきますよね。
大胡
変わります。そのお陰で、視点をガラッと変えることが出来たと思います。時間の経過と共に、ジ〜っと見るだけじゃなくて、少し突き放して見れるようになったので。それはやっぱり10年あったから出来たんだと思います。
浅野
やっぱり必要な時間だったんですね。
石井
その発想に至ったきっかけは、何だったんですか?
大胡
何だろう…今回の作品に関わらず、思いつく瞬間ってあんまり覚えていなくて、ある時、ふと思いつくんですよね。ただ、ダメ押しで確信に至った時のことは覚えています。これは思いついた後の話ですけど、去年(2022年)、マーベルの映画『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』を見た時。色々なユニバースを渡っていく時に、人間が絵の具みたいに流れていく描写があって。それを見た時に、「はいはい!これこれ!」って。凄く面白かった!視点をガラッと変えることの魔力に魅了されました。
浅野
あと、今回の作品は単純に綺麗ですよね。作品として美しいですよ。
大胡
それは、モチーフであるアーメン終止が、綺麗と形容される協和した響きだからですね。例えば、12音技法をモチーフに作品を作れば、アーメン終止より不協和な響きが多く聴こえると思います。そうすると、綺麗とは形容されない。モチーフとなる素材の選択次第です。
浅野
そこの、聴き易さ・聴き難さみたいなのは、特に意識はされてない?
大胡
そもそもあんまり考えない。聴き難くしようとも思わないし、聴き易くしようとも思わない。
浅野
その素材の選択に関しては、シリア難民やウクライナ侵攻のような、現在の社会的・時流的なものが、その決定にだいぶ深く関与している、ということですね?
大胡
僕は文化人類学的なアプローチが好きなので、西洋音楽を描くのなら三和音、アラブ音楽を描くのならマカーム/ジンスをモチーフとして選択します。その上で、「ジンスの中でクルドを選んだのは何故か?」と言われれば、委嘱当時の、シリア難民のことがありましたし、今回、「和声パターンの中でアーメン終止を選んだのは何故か?」と言われれば、ロシアの侵攻やCOVID-19などの、今現在から、強く影響を受けたから。作品を完成させるためには、作曲のスタート段階でチョイスしたモチーフが、作業中の今現在に対しても説得力を持つのかどうか。そこを考えないと、取り組みを続ける意義を見出せないことがある。
浅野
方法論的には、音素材さえあれば、どんなものでも大胡さんのまな板に乗るってことになりますね。
大胡
そうです。
浅野
わりと革新的な、それこそ十二音技法じゃないけど、新しい作曲法な気がします。あんまりやってる人がいない。システムとして教えることも出来ますよね。
大胡
出来ますよ。以前、国立音楽大学でワークショップをやった際に、自分の考え方をわかり易く作品にまとめて、楽譜を学生さん達にプレゼントしました。
浅野
そうすると例えば、新ウィーン楽派みたいな、大胡さんの一派を作ることが出来ますね。シェーンベルクに対するウェーベルンやベルクみたいな。
大胡
作曲法を知りたい人がいれば教えます。ただ、そんな物好きがいますか(笑)
浅野
もしかしたら大胡さんに続く人が現れるかもしれないですね。いやあ、長い間濃い話をありがとうございました。
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ご来場される皆様へ一言

浅野
それでは最後に、ご来場される皆様へ一言お願いします。
大胡
和声学における1つのパターン(今作はアーメン終止)をモチーフとした現代曲は、世界中を探してみても殆ど存在していないと思います。間違いなく、滅多にないものを聴いてもらえると思います。昨今のコロナ禍や戦争といった時代を受けて、世の中に1つのアートが生まれた。それが良いか悪いかはちょっと分かりませんけど、世に鳴り響くその瞬間に、立ち会ってもらえると嬉しく思います。
浅野
ありがとうございました!
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