ENSEMBLE FREE EAST

第13.5回演奏会

2020年は私たちにとって、とても厳しい年となりました。
新型コロナウイルス感染症「COVID-19」は、音楽業界のみならず、
あらゆる分野に携わる人々に甚大な被害を与え、半年以上経った現在でも未だ大きな影響を与え続けています。

しかし、医療分野をはじめとする多くの方々のご尽力により、社会は徐々に力を取り戻し始めています。
未知のウイルスであった 新型コロナウイルスは、多くの研究者の方々によって解明が進んでおり、
それに基づいた実験結果を受け、演奏会を再開する楽団も増えてまいりました。

私たちもまた、慎重に段階を踏んで演奏会の再開を目指します。

4月に発出された緊急事態宣言以降、リモート作品の発表に取り組んできた私たちですが、
社会の動きに合わせて、まずはお客様を招待せず、ホール収録にて演奏会を楽しんでいただきます。

皆様に直接、会場で音楽をお届けできないのはとても残念ではありますが、
まずはインターネット配信にて、新作2曲を含む全5曲をお楽しみいただければ幸いです。

アンサンブル・フリーEAST 代表 浅野 亮介


演奏会詳細

アンサンブル・フリー史上初!演奏会をストリーミング配信にて、2夜連続でお楽しみいただけます。
前夜祭は過去の演奏から2曲、本日程では第13.5回の演奏会に加え、
作曲家・木下さんによる副音声も配信いたします!
是非お楽しみください。
アンサンブル・フリー史上初!演奏会をストリーミング配信にて、2夜連続でお楽しみいただけます。前夜祭は過去の演奏から2曲、本日程では第13.5回の演奏会に加え、作曲家・木下さんによる副音声も配信いたします! 是非お楽しみください。
2020年11月13日(金)20:00〜
前夜祭
  • 逢坂裕:交響曲 より
  • 木下正道:問いと炎Ⅲ〜夜が広がるときに〜
    (第10回演奏会より)
  • ブラームス:「ハイドンの主題による変奏曲」
    (第12回演奏会より)

  • * 指揮:浅野亮介
    2020年11月14日(土)19:00〜
    第13.5回演奏会
  • 梅本佑利:Different Times(リモート多重録音またはライブコンサートのための)
  • ロッシーニ:《泥棒かささぎ》序曲
  • ブラームス:大学祝典序曲 作品80
  • 木下正道:風は風を砕く I(世界初演)
  • ハイドン:交響曲第60番ハ長調
  • * 指揮:浅野亮介 * 副音声:木下正道
    * 指揮:浅野亮介
    * 副音声:木下正道
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    作曲家紹介

    木下 正道
    木下 正道
    Masamichi Kinoshita

    1969年、福井県大野市生まれ。吹奏楽とハードロックの経験の後、東京学芸大学で音楽を学ぶ。大学入学後はフリージャズや集団即興、お笑いバンド活動なども行った。2001年度武満徹作曲賞選外佳作(審査員=オリバー・ナッセン)、平成14年度文化庁舞台芸術創作奨励賞、2003年日本現代音楽協会新人賞、などに入選。現在は、様々な団体や個人からの委嘱や共同企画による作曲、優れた演奏家の協力のもとでの先鋭的な演奏会の企画、通常とは異なる方法で使用する電気機器による即興演奏、の3つの柱で活動を展開する。2001年より、武生国際音楽祭にボランティアスタッフとして参加。2013年からは「武生国際音楽祭・新しい地平」の運営アシスタントを務める。

    作曲においては、厳密に管理された時間構造の中で、圧迫されるような沈黙の中に奏者の微細な身体性が滲み出すような空間を作ることを目指す。演奏会企画においては、演奏家との周密な打ち合せのもと、先鋭かつ豊かな音楽の様相を感じ取れるような音楽会を開催する。また電気機器即興は、池田拓実や多井智紀と「電力音楽」を名乗り、その他様々な演者とも交流し、瞬間の音響の移ろいを聴き出すことに集中する。

    ここ数年は主に室内楽曲を中心として年間20曲程度を作曲、初演。東京近辺で活動する現代音楽に関心を寄せる演奏家の殆どがその作品を初演、再演している。2019年にはピアノとエレクトロニクスのための作品がドイツにて初演され、またホルントリオのための35分を超す作品が東京で初演された。2021年6月に東京オペラシティ・近江楽堂にて個展を開催予定。若手演奏家を紹介し、その創造性を存分に発揮してもらう場として、神楽坂のギャラリー「eitoeiko」の全面的協力の下、「Looking Ahead」シリーズを主宰、好評を得ている。また多くの、先鋭的な若手作曲家、演奏家たちによる企画に招聘されている。

    梅本 佑利
    梅本 佑利
    Yuri Umemoto

    2002年、東京生まれ。15歳から作曲を始める。2018年、秋吉台の夏・現代音楽講習会に参加し、同セミナー公演にて公募作品が初演。その後も作曲活動を重ね、作品はこれまでに、會田瑞樹、笹沼樹、佐藤紀雄、杉浦菜々子、田原綾子、坪井夏美、成田達輝、山澤慧、山田岳、松岡麻衣子、イム・ヒョンムック、Thomas Piercy、Luís Miguel Leite、Guy Whatley(敬称略)などの著名なソリスト、アンサンブルによって、これまでに日本、アメリカ、ヨーロッパなどの国内外にて初演、再演されている。

    2019年には作品が「ボンクリ・フェス」(東京芸術劇場)にて藤倉大(芸術監督)により紹介され、2020年からはチェリストの山澤慧による6年間の無伴奏チェロ作品の連続委嘱プロジェクトをスタート。同年6月に一作目のソロ作品アルバム「Dream Sandwich」をリリース。2020〜21年シーズンは、サンクトペテルブルク(ロシア)にて新作小オペラ《Architect》を世界初演予定。また、国内外のソリスト、アンサンブル、国内のオーケストラによる委嘱・初演などを控えている。

    現在、東京音楽大学付属高等学校三年に在学。 作曲を川島素晴に師事。(2020年7月現在)

    作曲家による楽曲解説

    梅本佑利:ディファレント・タイムズ
    (リモート多重録音またはライブコンサートのための)

    この作品は、2020年の新型コロナウイルス感染症パンデミックの最中、アンサンブル・フリーの委嘱により、リモートワーク演奏のために作曲された(※1)。

    作曲をするとき、リモートという環境により、アンサンブルなのに「お互いに聴き合わない」という特殊な演奏形態が可能になるということに注目した。奏者の時間、音の感覚。それぞれみんな違う感覚を持っている。その一人一人の違い、「ズレ」を聴かせることができる。同時に聴きながら、見ながら合わせるということはしないし、指揮者にも合わせない。 奏者は、全く同じ楽譜の上で演奏するが、各々が好きなテンポで、好きな音を選択し、全くバラバラに演奏をする。誰かの音を共有するわけでもなく、受け取ることもないわけだから、全く予想だにしない、総合的な「ズレ」の音楽が生まれる。

    この曲は当初、コンサート会場で演奏される予定は全く無かったものの、将来、コンサートで演奏されることを見通して、演奏会用作品としても成立するように作曲した。もし普通にこの譜面を会場で一同に演奏した場合、奏者同士は時間を共有し、必然的に周りの音楽を聴きながら演奏するため、無意識的にも意識的にも、周りの音楽が自らの音に反映されてしまう。それではいままでのアンサンブルとほぼ変わりがなくなってしまう。そのため、コンサートで演奏する場合は、時間を共有しないで演奏する方法として、耳栓を使用することを指示している。

    今回は大きなコンサートホールでの演奏ということで、いったいどうなるのか、とても楽しみです。

    梅本 佑利

    ※1 リモート多重録音版はこちらに掲載しております。


    皆様、今回新曲を作曲いたしました、木下と申します。第10回の定期演奏会の際は私の新曲「問いと炎Ⅲ〜夜が広がるときに〜」を多くの方に聴いていただくことができ、本当に感無量でした。今回またこうして新作を演奏していただけますこと、大変嬉しく誇りに思います。そして前回と同様に、他の「古典名曲」のプログラムも自作解説と併せて書くことになりました。大責を果たせるか心許ないのですか、どうかお付き合いください。

    さて本日の「古典」作曲家は、年代順にフランツ・ヨーゼフ・ハイドン(弟のミヒャエル・ハイドンもかなり有名な作曲家です)、ジョアキーノ・ロッシーニ、ヨハネス・ブラームスです。この3人には実はいくつかの共通点があります。

    1. かなりお金持ちだった
     ハイドンはロンドンへの演奏旅行で多額の金を稼ぎ、ウィーンに邸宅も建設しました。ロッシーニは37歳までのオペラ人生で十分稼ぎ、また年金も貰える身分に。ブラームスは当時「出版に際して払われる金額が最も高い」作曲家で、今で言う「財テク」にも励みました(ただしそれらの財産の殆どは親戚や友人や若い世代の支援などに回していたようです)。

    2. ウィーンで活躍、または人気だった
     ハイドンはエステルハージ家から「解放」された後はウィーンで活躍。ロッシーニもウィーンでは、ビートホーフェン(以前書いたプログラム同様、私はどうも「ベートーヴェン」という言い方、書き方が好きではないので、この文章に於いても、よりドイツ語の発音に近い「ビートホーフェン」を使いたく思います事ご了承ください)も嫉妬するほどの凄まじい人気があり、1822年に遂にロッシーニがウィーンに来た時は、熱烈に歓迎されたようです。またブラームスも、生まれはハンブルクですが、「ウィーンの作曲家」として評論家(特にハンスリック一派)や聴衆に遇され、尊敬されている、まさに「名士」でした。

    3. かなりの多作家
    ハイドンやロッシーニは言うに及ばずですが、作品番号が122までのブラームスも、実は作品番号のない民謡の編曲などが大量にあります(最も有名な曲のひとつ「ハンガリー舞曲」にも作品番号はありません)。

    勿論それぞれ違う面もあります。ことオペラに関しては、ロッシーニはその主要作品のほとんどがオペラですが、ブラームスはオペラを遂に書きませんでした。ハイドンにもオペラはありますが「ハイドンの主要作品」としてオペラを挙げる人はかなり珍しいでしょう。

    もちろん生まれた時代も違います。ハイドンの生年は1732年、ロッシーニは1792年、ブラームスは1833年です。つまりハイドンからロッシーニまでは60年(大体お爺さんと孫の世代か)、ロッシーニからブラームスまではほぼ40年(ちょっと御歳の伯父さんと甥っ子?)、ですのでハイドンからブラームスまではほぼ100年ということになります。そしてハイドンからロッシーニへのちょうど「真ん中」あたりに、モーツァルト(1756年生まれ)やビートホーフェン(1770年生まれ)がおり、ロッシーニからブラームスの「真ん中」あたりには、1809年から1813年あたりに生まれた一群の大作曲家たち(メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リスト、ワーグナーなどなど)がきます。こうして眺めますと、音楽の様式の変化が、次第に「速く」なっているようにも見えます。

    では、各曲ごとの解説に移りましょう。

    ロッシーニ:泥棒かささぎ序曲

    ロッシーニは76年の生涯で39曲のオペラを作曲しましたが、それらは1829年初演の「ウィリアム・テル」まで、ロッシーニ37歳の時までに書き上げられました。作曲活動期間から考えるとほぼ年に2曲、オペラを絶え間なく作っていたわけで、これはかなり超人的なことではないかと思います。この後は作曲の第一線からは引きつつも「小ミサ・ソレムニス」「スターバト・マーテル」といった宗教作品や、「老いのいたずら(老いの過ち、とも)」というかなり膨大な量の小品を集めたカタログのような作品を書いたりもしています。

    さてそのロッシーニのオペラの「序曲」についてですが、200年近く前の話、今とはいろいろ考え方が違っていて「作品」というものがきちんと自立しているというよりは「とりあえず間に合わせてそれで面白ければいいのでは?」というところがありまして、他の曲を流用する(これは色々なレベルがあり、主なモチーフを借りてきて違うように展開するとか、もう全く丸ごと頂いてくるとか)のは当たり前のことでした。ロッシーニの場合「パルミーラのアウレリアーノ」序曲は「イングランドの女王エリザベッタ」に転用され、さらに彼のオペラの中では最も有名なもののひとつ「セビリアの理髪師」の序曲にもなりました。まあこうしたことは、例えばバッハなどにはいくらでも例を発見できますし、(あまり大きな声では言えませんが)現代の様々な音楽シーンにも色々形を変えつつ出てくるわけです。ですから、創造行為の基本的なパターンとして認識すべきだと言えるのかもしれません。

    この「泥棒かささぎ序曲」は、そういう「流用物」ではなく、この歌劇用の「オリジナル」序曲です。ですので、劇内の音楽が序曲にも反映されています。実際は3時間半程度かかるこの歌劇のストーリーを極度に簡潔にして書きますと「銀の匙を泥棒したと嫌疑をかけられた女中が、処刑される寸前に真犯人がカササギであることがわかって無事解放される」というものです。そしてその序曲は、何やら不穏な雰囲気を掻き立てる小太鼓のロール(処刑台への道行?)に続いて、行進曲風の明るい曲想(モーツァルトが好んで用いた、タン、タッタ、タン、タン、というリズム)が始まり、3拍子の急速で軽やかな部分から、低域が活躍する堂々とした部分、いったん収まり鳥の声が掛け合いをするような音形、そしてここから一定の音形を繰り返しながら長い時間をかけて最大音量まで達します。これが静まった後、もう一度同じように、今度は先ほどの倍ほどの時間をかけて最弱音から最大音まで大きくなっていきます(このパターンは「ロッシーニクレッシェンド」とも呼ばれています)。何かこう書くととても単純なようですが、細かく見ていきますと、各楽器間で様々なリズムが展開、交錯して、それを程よく聴かせる楽器法の簡潔さなど、飽きがこない「仕掛け」がさりげなく施されているのが分かるかと思います。なお、元々この曲は「トロンボーン1本、チューバなし」の編成ですが、今回は「トロンボーン3本、チューバあり」の版でお届けいたします。

    ブラームス:大学祝典序曲 作品80

    ブラームスは1879年にブレスラウ大学(当時はプロイセン領内、現在はポーランドのヴロツワフ大学)から名誉博士号を授与されました。その返礼として作曲されたのが本作です。この曲は全体的にはソナタ形式といえるものですが、下記の「学生歌」を引用し、いわば「埋め込む」形で、曲は進行していきます。

    「Wir hatten gebauet ein stattliches Haus(僕らは立派な学び舎を建てた)」
    これは金管のコラールで、厳かに奏されます。
    「Landesvater (祖国の父)」
    ブラームスらしい弦楽器の組み合わせ方(一際高いところにメロディ、うごめく内声、チェロのピチカート、対旋律っぽいバス)によって歌われます。
    「Was kommt dort von der Höhe? (そこの丘から何が来た)」
    この部分が一番有名かもしれません。ファゴット、オーボエなどによって奏され、その後オーケストラ全体に展開されます。
    「Gaudeamus igitur (いざ楽しまん)」
    曲のコーダとも言うべき部分で、管楽器の全奏で現れます。

    ブラームスは「歴史をまずは全面的に鑑みる」ことを徹底的に行なった人でした。その作品はとことんまで推敲され、重厚かつ様々な技法、形式、様式が「さりげなく」「惜しみなく」使われています。先代に学び、それを熟成させ、作品として世に出す。どこまでも真面目です。

    ただこの「大学祝典序曲」は、ブラームスとしては珍しい「メドレー形式」(「スッペ風のポプリ」と自分では呼んでいたようです)の、やや肩の力が抜けた作品かもしれません。しかしそこはさすがブラームスの独自の作曲法や色合いがかなり濃厚に感じられます。それぞれの引用された曲たちが違和感なく全体に溶け込み、バランスを保っています。こういうことを何気なく出来るのは、高度な作曲技法の持ち主ならではです。また、低音によるシンコペーションのうごめき、ハープを思わせるチェロのピチカート、拍節が一時的に分からなくなるようなリズムの割り方、木管をオクターブで重ねることによる柔らかな響き、弦楽合奏の自在な筆致(時に音域を幅広く使いメロディを浮き立たせ、また別の時には密集させて渋く哀愁ある音色を引き出す、など)、やや古風な金管の使用法、などなど、ブラームスの他の大規模な交響曲や協奏曲などにも見られる特徴が現れていますし、冒頭の主題などは、この後に書かれる「交響曲第3番」などとも関連があるようです。このように、ブラームスの基本的な立ち位置と、機会音楽的な要素が有機的に組み合わされた作品だと言えるでしょう。

    木下正道:風は風を砕く I (初演)

    タイトルは、エジプト生まれでフランス語で書くユダヤ系詩人、エドモン・ジャベスの『歓待の書』から取りました。この曲は全部で11の部分からなります。1番から5番までと、真ん中に「頂」としての6番、そのあと、1番から5番を反転するように7番から11番まで、となっています。6番以外の部分は、それぞれが同じような3つの部分にさらに分かれます。第1の部分は、高い木管による「鳥の歌」、第2の部分は弦楽器のユニゾンによる強奏、第3の部分はそれらの「エコー」です。全体としては、6つの音によるたった1つの「音階」から、全てを導き出すように(ただし、各部分においてある程度のズレは孕んでいます)しました。なるべく見通しの良い時間設計と、音を擦り合わせる、ぶつける、または調和させて混ぜ合わせる、ということの様々な「相」を、皆で合奏することによって楽しめるような(無論かなりの困難も伴いつつ)作品を目指しています。今回の「コロナ騒動」では、いわゆるリモート合奏が大流行りし、各種SNSは一時期それらで埋め尽くされました。そのような中から大変興味深い創造的な作品が生まれているのも事実です。しかし私としてはやはり、互いの音の振動をリアルタイムで耳で捉え、空気として感じ取った上での「他者との反応」から、音楽と呼ばれる持続が生まれてくる、ということを信じることが、あえて今出来ることではないかなと思います。もちろん聴かれる方の媒体は、今回は「配信」であるわけなのですが、その基本的な姿勢は、確保したいと願っているものなのです。

    ハイドン:交響曲第60番ハ長調

    ハイドンはまさに「膨大な」数の作品を書きました。きちんと完成された曲だけでも700曲以上で、交響曲も確認されているもので106曲あります(この他に断片や協奏交響曲など)。「交響曲の父」「弦楽四重奏曲の父」(ピアノソナタも大量にありますが「ピアノソナタの父」とはあまり言われませんね)などと称されていますが、まさにハイドンがこれらの曲種の「様式」を確立し、しかも「良い曲」を書いたので、その後のヨーロッパ音楽の流れの重要な始点のひとつとなったわけです。

    最近では、この膨大な交響曲の「全集」録音も何点か市販されています。私も、先だってからの「自粛」期間中に、所有していたアンタル・ドラティによる全集をもれなく聴こうと思い立ち、続々と1枚ずつCDプレイヤーにかけていきました。そして一際「驚いた」のがこの第60番でした。何と、曲中で「調弦」しているのです!

    20世紀以降にはそういった作品はいくつかありますが、まさか、あのハイドンが、と思ったのでした。しかし調べてみると、この曲は副題が「迂闊者」(原題 "Der Zerstreute" には何通りか訳し方がありますので、以下出てくる場合は「最適解」を探ってみたいと思います)となっておりまして、同名の劇のために書いた付随音楽を、そのまま交響曲にしているようです。全6楽章となっており、これもハイドンの標準的な「全4楽章」スタイルとは異質で、かつ編成にトランペットが含まれているのも、この時期としては珍しいものであります。

    その内容ですが、やや「愚か者」を彷彿させるような書き方、例えば、第1楽章ではひたすら同じ音をずっと繰り返して消え入っていき、頻出する主要音形などはどことなくビートホーフェンの「運命」を彷彿させますし、第2楽章の唐突な楽句の挿入、第3楽章のトリオではややアンバランスなフレーズを、第4楽章ではかなり長い全楽器のユニゾンを用い、第5楽章では穏やかに歌う風景の中に突如ファンファーレが(しかもほぼずっと同じ和音が連打される)始まりますし(この楽章の「終わり方」もかなり変わっています)、第6楽章は前述の調弦の「演出」を含み、既出楽章のモチーフの変形を奏したりしながらも「あっという間に」終わる、などです。このように、細部と全体が、それぞれ「うつけ者」的な要素を孕みつつも、そこはしっかりと計算された「パパ・ハイドン」の仕事ぶりが伺えるという、古典ならではのユーモアがお楽しみいただけるのではないでしょうか。

    木下 正道

    予告動画

    予告 第1弾
    予告 第2弾
    予告 第3弾
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